otaku8’s diary

映画のこととか

『ジュラシックワールド炎の王国』 ラスト考察(ネタバレ注意)

 

 

 

 

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ジュラシックワールド炎の王国についての批判で多いのがラスト、メイジー・ロックウッド(ベンジャミン・ロックウッドの孫娘)がボタンを押し、恐竜を解放し人間界に放つ場面だと思います。メイジーが完全に人間と同じ立場だと考えると単なる無責任な行動に思えるかもしれません。クレア(ブライス・ダラス・ハワード)が迷いながらもボタンを押すのを止めたのは人間として正しい判断だと思います(実際、人間が生き物を逃がしたことが外来種問題の一因にもなっている)。一方、メイジーの正体は恐竜たちと同じく遺伝子操作によって(人間の自己満足の為に)生み出されたクローン人間。立場としては恐竜と同じ立場(そのことはガラス越しにメイジーの顔とインドラプトルの顔が重なる演出や彼女のセリフなどでも分かります)。

ジュラシックシリーズのテーマとして(原作者マイケル・クライトンの主張として)「科学を過信した人間の愚かさ」「生命は道を見つける」というものがあると思います。映画のテーマとメイジーの立場を考えればメイジーの行動はとても自然なものだと分かります。

ジュラシックシリーズと言えば「人間が毎回バカ!」と批判されがちですが、それすらも「人間は過去の過ちから学ばない生き物だ」ということを表し、シリーズのテーマをサポートしています。今までは何だかんだ最終的には恐竜を別世界に隔離できていた(まだ管理できていた)けれども、今回ついに人間の愚かさが最高潮に達し今までのツケがまわってきたと同時に恐竜(≒メイジー)は自分たちの歩む道を見つけた。それは「科学を過信した人間の愚かさ」「生命は道を見つける」というテーマをよく表していると思います。

現実世界でも人間の自己満足や過信により生じた問題の責任を取らなければいけない場面が増えている(外来種問題など)。マルコムのセリフ ”Welcome to Jurassic World" は人間は自分たちの行動の結果に責任を取り、恐竜と共存していくしかないと皮肉っているように感じます(マルコムの場面で映画がパッケージされているところにクライトンの意思を受け継ぎ、再構築しようという気概を感じられる)。